林 敏之の楽苦美(ラグビー)ブログ

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zoom RSS 洗心の会スピーチ 『私が今思うこと』 その1

<<   作成日時 : 2009/04/15 01:38   >>

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私はいつのころからか、私の人生のワンテーマは、『湧き上がる』ということではないかと思うようになりました。湧き上がる体験をするためにラグビーをプレーし、湧き上がる体験を伝えるために、教育の世界に入りました。『感性フォーラム』を立ち上げて続けてきましたが、はや12年の年月が過ぎ去りました。今一度私の人生を振り返った時に、人生の周期があったのではないかと思いつきました。

1年は12ヶ月、干支の一回りは12年ですが、私の第1周期、0才〜12才までは、徳島で育った少年時代でした。両親が健康に大きく育ててくれました。楽しい少年時代、子供の頃は夢の中を生きていたような気がします。子供の頃はありの行列を見ても目が輝きました、花のつぼみを見ても心は躍っていた。毎日笑ってすごしていたような気がします。しかし少し物心がつくようになって、人間関係で悩みました。人と話がうまくできずに、友達を作れない、鮮やかに生きられないと言う劣等感でした。鮮やかに何かにかけて生きたいけど、思うように生きられない、そんな自分が好きになれませんでした。そんな中で、野球をしたりサッカーやったりしました。

第2周期は、ラグビーとの出逢いです。中学に入りサッカー部に入りましたが、13才の時に部の中でうまく行かずにサッカー部をやめました。たまたまラグビーをやっていた先生がいて、県下に1校だけしかないラグビー部があり、ラグビーに出逢いました。思いっきりぶち当たれるラグビーが楽しくて仕方ありませんでした。何か求め続けた中学、高校時代だったように思います。
そして、本格的なラグビーとの出逢いは、高校3年の夏にやってきました。高校ジャパンに選ばれ、オーストラリアに遠征しました。山口先生との出逢いもありました。ラグビーを続けていこうと決意しました。
岡先生とも出逢い同志社大学へ進学しました。19才の時 A JAPAN 15でニュージーランドに遠征しました。アフターファンクションで倒れた先輩の姿を見て、私も倒れるまで走りたいと思いました。
同志社大学では、優勝を目指してプレーしました。若かったし、真剣でした。本気でやるラグビーに出逢うことができました。学生選手権目指して熱い時代をすごしました。
神戸製鋼に入ったのは亀高さんとの出逢いでした。魂の入ってないチームに悔しい思いをし、何とかしようとした24才まででした。

25才からの第3周期は、ラグビーを通じさらなる体験をし、深めた時代でした。練習の成果が現れ、チーム力も上がり、私もリーダーになっていきました。神戸製鋼のキャプテンになり、日本代表でもキャプテンになりました。日本代表の遠征でキャプテンとして桜のジャージの意味を、責任を語り、身体を張り続けました。
そんな中で神戸製鋼でも理想の組織を作ろうと組織改革をしていきました。自分達で考え、自分達でやって、そして自分達で勝とう。やらされるのではなく自主的にやろう。結果は質と量の積だ、いい質の練習をしよう。コーチに辞めてもらいキャプテンを中心にリーダーをおいてこれでチームを運営しようと考えました。しかし思い上がりがあったのかもしれません、苦悩と怪我、自己管理ができなかった、勝てずにみんなの信頼を失いました。ラグビーも会社もやめようと思ったけど慰留されチームに残りましたが、気持ち的には中途半端な時間を過ごしました。日本代表からも外れ試合に出ては膝に水をため練習を休みました。そんな時、部長との話で目覚め再起をかけたリハビリに励みました。全国大会前にチームに合流することができ、神鋼で最後のシーズンだと決意し、試合に臨みました。28歳のときの初優勝、平尾キャプテンやチームの皆が表彰状の授与を譲ってくれました。今思出だしても最高の出来事でした。
実は初優勝の直後に、行徳先生の山ごもり研修に行きました。研修の体験は何だったかというと、自分を前よりも好きになったような気がしました。宴会の楽しさ。素っ裸になって大笑いしました。
その後オックスフォードへの留学、楽しい日々とラグビー、苦労をしながらも入学を果たし、レギュラーを取り、30才でのバーシティーマッチに出場しました。日本1とブルーと言うラグビーにおける2つの夢を果たしました。
それでもラグビーから離れられずに、いつになったらラグビーから離れられるのかと思いながらプレーを続けました。ラグビーでの晩年は衰えとの戦いでした。34歳での手術をし、リハビリの日々を送り、X8を逃したシーズン、もうとことんやった、今ならいい気持ちでラグビーから離れられると36才での引退をしました。

第4周期はこれから何をやろうかと生きる主題を模索し、37才になる前に教育の世界に入りました。感動を伝えたい、言葉を変えたら『湧き上がるもの』を伝えたい。どうせやるなら感性トレーニングをやろうと行徳先生のかばん持ちをしました。トレーナーを目差した時に、先生より言われました。この研修をやるには2つのことが必要だ。1つは、『オブザベーションとパティシぺーションの瞬時の切り替え』だ。もう一つは『啐啄機』だと。
最初は本当に楽しかった。山ごもりに帰って、みんなが涙を流す姿を感動しながら見ていました。しかしサブトレーナーをしていたら、いつまでもサブトレーナーです。行徳先生の横にいつまでも居てはいけないと次第に苦しくなってきました。
自分でやらねばと研修をスタートさせました。研修室の真ん中の椅子に座るのは正直とっても怖かったです。座った状態から研修をはじめていくのです。1度座ったらセッションを終えるまで動けません。私自身がどれだけ集中するか、人の胸に刺さる言葉を吐けるかです。自信は無いけど人は集めないといけません。そして研修の中では受講生達と向き合い、本気でぶつかりあわなければいけません。ラグビーの様に皆が自覚しているわけではありません。研修に来た人を捕まえて、自分自身に向き合わす、ある意味で追い込んでいくのは私も正直いやだし怖かったです。テストマッチに出るよりもプレッシャーがかかりました。研修近づいてくると1週間前くらいから憂鬱になって、胃がきりきりと痛くなりました。
トレーナーとしての役割を果たすため、気合を入れてぶつかっていくのですが、思うように受講生が反応せず、また途中で脱落して逃げ出しそうになったり、研修が硬直して動かなくなったり、「今・この場を抜けられなかったら、もうこの仕事はやめなければいけない」と思いながら、何とか切り抜け続けてきました。
硬直したり、気持ちが乗らなかったり、うまくいかなかったりすると、現役時代の癖で自分の顔をバカバカ殴ってしまいます。ラグビーのテストマッチよりも、研修室のトレーナーの席に座るほうが、正直何倍も怖かったです。途中で巧く行かないことがあった時等、もうやめる、もうやめると、何度愚痴をこぼしたか解りません。
そんな中で徐々にカリキュラムを変えていきました。研修はやはり最初の導入部分が大切で、いかにやろうという気持ちになってもらえるかにかかっていると考え、初日のかなりの時間を、研修に対する心の準備に使う現在のカリキュラムにしてからはスムーズに行くようになりました。また回数を重ねる中で、少しずつ人に対する対処の仕方も変わってきたと思います。人の涙をうまく引き出していけるようになりました。
そんな中でこの研修にはいろんな人が来ました。人を殺してしまった人、両親が自殺をした人、やくざな親父が鉄砲で打たれて殺された人や、自立神経失調症で学校に行けなくなった子も来ました。
研修に来られた人たちが自分に向き合っていきます。人間の真実はどろどろしたものの中にあるのです。楽しい、うれしい、良かった、社会的な感情は案外偽装されやすいのです。反社会的な感情、辛かったこと、苦しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、そんな中に人間にとっての真実があるます。
悔しい、辛い、悲しい、苦しいに浸り切った時にどろどろとしたものの中から涙が噴出します。その時に涙の奥にある今まで知らなかった素敵な自分に気づくのです。この流す涙がいろんなものを洗い流してくれます。自分の弱さを知ったときに、強くなれます、優しくなれます。心に引っかかっていたものを捨て、肩の力が取れて、やわらかくなっていきます。あたりまえだと思っていた事が、実はありがたかった。そのことに気づいて、感謝の心がわいてきます。
人間は皆素晴しい可能性を秘めています。要はそんな自分に出逢えるか出逢えないか、気づくか、気づけないかなのです。未見の我、今まで気付かなかった自分の夢や可能性に出逢ったときに湧き上がるものが生まれます。
湧き上がるものを伝えたい、素敵な自分に出会ってほしい、研修の中に伝えるべき大切なものがある。それを伝えることができるなら、自分のライフワークとして続けていこう。そう思って遅々たる歩みではありましたがやってきました。
教育の本質は、面授だと思うのです。大切なものは人と出逢い向き合いぶつかり合うことでしか伝わりません。
先日、人間学雑誌を出版する、致知出版の藤尾社長とお目にかかりましたが、教育には2つあるといわれていました。1に「徳性を養う」。そして2に「知識・技能を養う」。この2つによって教育は成り立つと言われます。1の「徳性が本」で、そして2の「知識・技能が末」です。しかし今の教育はこの1と2が逆転しています。つまり「本末転倒」しています。それは「徳性を教える人間がいない」からです。「徳性を教える人間」とはどういう人間か?それは「人生を真剣に本気で生きている人だ」。こういう人たちを、子供たちに会わせなくてはなるません。つまり「教育にとって最も大切なことは、尊敬できる人を持たせる」ということです。
平澤興さんは、教育とは火をつけることといいましたが、火をつけるのは知識や技能を伝えることではないと思うのです。
この12年間、『感性フォーラム』を続けてきましたが、81回、700人近くの人に参加していただくことができました。
また誰もが人生のヒーローになれる様に支援しようとNPOヒーローズも設立し、3つのHと3つのEに関る活動しています。   −その2に続きます−

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