林 敏之の楽苦美(ラグビー)ブログ

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zoom RSS 梅田ロータリーで卓話 (大阪)

<<   作成日時 : 2008/09/11 00:06   >>

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梅田ロータリーで卓話を頼まれ話しに行きました。
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卓話をしたのは良かったのですが、話した内容を会報にしたいということで、速記した文章が送られてきましたが、
これを訂正し、書き直すのがかなり大変でした。
どうも生真面目すぎるのか、意にそわない内容が記載されるのがいやで、ずいぶん時間をかけ訂正しましたが、担当の方のパソコンに撥ねられるのか訂正した文章が送れず、ずいぶんすったもんだしました。
ボランティアのつもりが、結構疲れた一連の作業でした。以下卓話の内容です。

ラグビーは1823年、イギリスのラグビー校でエリス少年がフットボールの試合中、興奮のあまりボールを持って走ったのが起源だと言われ、今もラグビー校の壁にはその碑が埋め込まれています。しかし事実はそうではなかったらしい。
当時、イギリスのパブリックスクールではスポーツ教育が行われ、ボート、クリケット、フットボール等をプレイしていましたが、フットボールにはいろいろな様式があったようです。
昔の上流階級の子弟教育は、家庭の中で行われていた。ところが各パブリックスクールは、全寮制で上下関係が厳しく、自分たちのつくったルールで力の強い者がその場を仕切ってゆく、プロフェグトファギングという制度を導入し、男らしさや自立心を身に付けさせようとした。ギリシャ語、ラテン語などの退屈な授業の中に、カリキュラムとしてスポーツ教育を打ち出し、それに共鳴した親が、子供達を入れたわけです。
当時は各校独特のルールでフットボールがプレイされていましたが、ラグビー校のフットボールは、ボールを持ってもよく、相手の脛を蹴ってもよい「ハッキング」がありました。また当時はレフリーがいなかった。何かあったらキャプテン同士が出て話をつけた。だからラグビーはキャプテンシーのゲームと言われます。やがて誰かに決めてもらおうとグラウンドの外の人に頼んだのがレフリーです。あの人にお願いしたのだからと、絶対に文句を言わない。
多様なフットボールをオックス・ブリッジでプレイする時に、ルールを決めようということで、サッカーができ、ラグビーができたのです。
また教育のためのスポーツは、町でやっているような野蛮なスポーツではいけない。そこでフエアプレイ精神やゼントルマンリネスなどの思想を意識的にラグビーの中に取り入れていきました。その意味でラグビーは、教育のために創られたスポーツと言えますが、そんな思想を含んだまま、全世界に広がっていったのです。
     全日本高校ラグビー代表
私は中学時代にラグビーに出会いました。それ迄はサッカーをしていましたが、2年の時ラグビー部に変わりました。本格的な出会いは高3の時に訪れました。徳島の田舎の弱小チームにいた私が、オーストラリア遠征の全日本高校代表メンバーに選ばれました。この時山口良治さんという素晴らしいコーチに出会いました。伏見工業を日本一にした、スクールウォーズのモデルですが、まだ優勝する随分前でした。紅白の横縞のジャージ、胸には桜のマーク、初めて全日本(高校)のジャージを着ました。
試合前のウォーミングアップを終え、グラウンドに出る前にもう一度みんなでロッカールームに集まりました。山口先生が、「手をつなげ!いいかっ!みんな待ってるぞ、お前らが勝ったっていう知らせを。お前たちのお父さん、お母さん、学校の先生も、協会の人も、みんな待ってるぞっ!」檄を飛ばされて、多感な我々は、ボロボロと涙を流して、グラウンドに飛び出しました。
ボロ負けをした試合もありました。ACTというチームに80何点取られてボロ負け。ロッカールームに引き上げてみんな呆然としていると、そこへやってきた先生は、「お前ら、悔しくないのかっ。おんなじ高校生だろ。おんなじルールーだろ。おんなじ人数だろ。同じ高校生が同じ一つのボールを追っかけて、なのにこんな負け方をした。お前たち悔しくないのかッ」と怒鳴られて、またボロボロ泣きました。
そんな遠征でした。私は8つの試合全部に出ることができました。遠征最後の夜に、食事会があって、ホームステイの人が迎えに来てくれる迄の間、みんなで住所の交換をしていました。そしたら山口先生が私の前にやって来て、「おい林よ。こっち来て、外人に通用しとったんはお前だけや。これから5年後、10年後俺の跡を継いでくれ。青春時代にひとつのことをやるのは素晴らしいことだよ」そう言われて、私はうれしくて、うれしくて先生の胸に抱きついて泣きました。
     ラグビーを続けよう
その時、日記に書きました。「ああ、ラグビーって素晴らしい。これからも続けていこう。大学に行ってもラグビーをやろう。苦しくっても辛くてもやっていこう。そうして出来ることなら、もう一度日本代表になりたい」。その日記の通りにやってきました。
大学時代、同志社は関東の壁に阻まれていました。練習は厳しかったです。入学して部に入って2カ月で15s程痩せました。フラフラになるまで練習しても、なかなか壁を破れず、全国大会で負けては泣き、負けては泣きしましたが、3年の時に初優勝することができました。
神戸製鋼も同じでした。私が入社したのは20数年前、想像よりも遥かに弱かったですね。練習に15人集まってこないことがある。魂が入ってない。それに魂を入れていこうとした。
1年目、全国大会で負けた時、ミーティングで先輩たちに質問しました。「皆さん、なんでここでラグビーやってるんですか?」先輩が、「一回ぐらいトヨタに勝ちたい」と言ったそのことが悔しかった。トヨタが強かったのではなく、新日鉄釜石が強かったんです。新日鉄釜石に全国大会で負けたんです。それにも拘わらずトヨタに勝ちたい。そうしか言えないチームが悔しくて悔しくて―。「俺らは日本一になりたいんでしょ!」と語りながらやってきました。7年がかりでやっと優勝することができました。
       湧き上がるもの
私の体験ってなんやねん?って言われたら、それは、「湧き上がるもの」です。もう、とめどもなく涙が湧き上がり、あふれ出る。初優勝した時、平尾がキャプテンでした。勝てずに悔しい思いをして私はキャプテンを降りて、膝のリハビリに励み、ほんとにものすごいリハビリをして、何とかグラウンドに立ち、そして優勝しました。
優勝した時、平尾がやってきて、「林さん、賞状貰ってきてや」って。「なに言うてんのや」。平尾が言いました「これ貰うのは林さんしかないですよ。おいみんな、林さんに行ってもらうぞ!」。みんなが私に表彰状の授与を譲ってくれた。ボロボロ泣きながら賞状を受取りました。
話はつくれるし、飾れます。でもそれは真実じゃない。つくれないもの、飾れないものは、湧き上がるものの中にあり、そこに真実がある。
今の豊かで恵まれた社会に生活に、なにか乾きを感じる。水気が少ない、潤いが少ないんじゃないか。湿っていると、おしぼりもずっしりと重い。水気が少なくなると、カサカサで軽くなる。生活の中の水気が無くなると軽くなる。生きることが軽くなり、命が軽くなる。それで自殺をしたり、人を殺めたりする。
大切な水気、潤いは、湧き上がってくるものからしか生まれない。涙、汗、みんな湧いてくる。乾いていたら湧いてこない。
私はラグビーを通して湧き上がる体験をしました。涙、笑い、怒り等、湧き上がるもがあってはじめて夢や憧れも湧いてくる。湧いてきて初めて自分が自分で生きていける。湧いてこなかったら、人にああしろ、こうしろと指図された通りに生きるしかない。湧き上がってきた時、私は私に戻り、湧き上がるものが感性を育てる。
  私の夢・フーテンの寅さんラグビー版
湧き上がるものは感性から湧き上がってくるのです。私は湧きあがる体験を伝えたいと考え、神戸製鋼所の教育部門、叶_鋼ヒューマンクリエイトで「感性教育」をテーマに研修講師を務めながら、NPOを立ち上げて「ラグビー寺小屋」等の活動をしています。
フーテンの寅さんは、山田洋次監督が戦後50年、日本が無くした良いものを集めてつくったような映画です。寅さんと出会った人が、懐かしい大切なものを思い出したり、心いやされたり、そしてマドンナに惚れて振られて去ってゆく。
私とはキャラは違いますが、私もボール一つ持って日本全国を回れば、何かを伝えることが出来るんじゃないか。それが湧きあがってくるものに繋がればと考えてNPO活動を始めました。「ヒーローズ通信」Vol.1を発行しましたが、5頁の日本地図の赤い部分は、私が活動を行った地域です。今は20県ほどですが、全国を廻りたい。
スポーツは教育に役立ちます。人間には自分は価値ある存在であるという自己肯定感が必要ですが、そのためには何かに挑戦してゆくプロセスが必要です。スポーツは目標が立てやすく、挑戦しやすく、成果も出しやすい。
そしてグラウンドの中でしか出来ない貴重な体験があります。グラウンドの中と外を繋ぎ、グラウンドでの貴重な体験を、社会生活に活かしてゆくことが大事なのです。
ヒーローズのねらい
私にも、マイヒーローがいました。仮面ライダーでも、ウルトラマンでもない、リアルなその人に出会い、知らなかった自分と出会わせてもらった。それがマイヒーローです。大切なのは出会いです。どんな自分に、どんな夢に、どんな可能性に出会えるか。出会いが人を育てます。
しかし、出会うには、まず自分と向き合わないと駄目です。歴代総理大臣の指南役と謳われた安岡正篤先生は「人物になるには二つのことが必要だ。一つは既に風格を醸している人物に出会え。もう一つは艱難辛苦、喜怒哀楽、栄枯盛衰、利害得失といった人生のあらゆる出来事を勇敢に体験しろ。舐め尽せ」と言われました。
舐め尽すのは大変です。我々は逃げたり、避けたり、合理化したり、すり替えたりします。すり替えているうちは湧き上がるものは生まれない。そのことに向き合った時、苦しい、悔しい、つらい、と涙が出る。その涙の奥にいる素敵な自分に出合える。そこでの新たな自分との出会いENCOUNTERが、そのまま教育EDUCATIONに結びつき、出会いが感性EMOTIONを豊かに育てます。この3つのEと、3つのH ・HAPPY・HEALTH・HUMANをNPO事業のテーマとして今後も展開していこうと思います。ひょっとしたら私も誰かのヒーローになれるかもしれない。そしてみんなが自分の人生のヒーローになってもらうため、活動していこうと思います。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
林さんへ

林さんの鼓動が強く伝わってきました。
実は私は2006年9月頃に何度かコメントを入れ、
返事を頂いていた者です。
当時会社を立ち上げようと思って動いていたことが
2年かかってやっと実現しました。
たくさんの方々から立ち上がる勇気とチカラを頂きました。

人のために、自ら考え動く。
自分のために人が動いてくれたことに感謝する。
自分がなにかすることで、なにかが良くなれば…。

この想いを大事にしていきたいと思います。
つまりこれって、ラグビーで最も必要とするハートの
部分ですよね。
これからも林さんのメッセージ楽しみにしてます。






トミー
2008/09/11 23:26
トミーさん、メールをありがとう。創業の夢がかなってよかったですね。
人のために何かするのはそんなに簡単なことではないですよね。言うは易し行うは難しです。ONE FOR ALL ALL FOR ONE て言うのは本当に大切だと思います。でも大切なことって、シンプルだけどなかなかできないんですよね。だから日々思い続けて反省しないといけませんね。ますますのご活躍をお祈り申し上げます。

2008/09/16 01:51

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